「生誕110年矢崎博信展 シュールレアリスムが見せる夢」が開かれている。長野日報の言を借りれば、20世紀最大の芸術運動とも称されるシュールレアリスム運動の日本における先駆者の一人である矢崎博信さんの作品展である。
この会期中に、このART BEAT CHINOが誕生が出来たことに強い因縁を感じる。それは何故か?以下に述べる。
会期中の5月8日には長野日報第一面で「シュールレアリスム 日本の先駆者脚光」との見出しで、茅野市出身の矢崎博信さんが大きく紹介された。
シュールリアリスムはおろか、アートやら美術やら、そんな晴れがましい世界には無縁の山ガツ編集子にとって、矢崎博信さんは3年前まで全く無縁の人であった。
やっと、Art Beat Chinoが船出できそうです。難産でした。この間、いろんな方にお世話になりました。お一人お一人にお会いしてお礼を申し上げたいところですが、それもなりません。この場を借りてお礼を申し上げます。
まず、Tokyo Art Beatさん。
去年4月のこの新聞記事がなければ、Art Beat Chino(ABC)は生まれませんでした。この記事を読んで、<TokyoのArt情報を世界に向かって発信19年間、これはすごい>、と感動しました。何故か?
<経済の時代から、文化の時代へ、一国ナショナリズムから、地球世界の時代へ、という時代の洞察への共感。
Artという所詮儲かりそうもない舞台で、世界を相手にして19年間粘り抜いてきた胆力と迫力に心動かされたから>、ということです。
それで、自分も茅野を舞台にして、Tokyo Art Beatの茅野版を作ろうと舞い上がったのが一年前の事でした。出来上がったのがこのArt Beat Chino(ABC)。尊敬するTokyo Art Beatへの、私の、かすかながらも力一杯の熱烈な拍手と握手のつもりです。
次いで、お礼を申し上げなければならないのが、運命の神様。そして神様の思し召しで関係してくださることになった多くの方々。
自分は性猛々しい山賎、田舎者です。Art、美術、芸術、文化とか、そんなしゃれた世界とは全く縁がありません。ある日、Tokyo Art Beatの雷に打たれ、自分もArt Beat Chinoをと、狂うまでになったのは、一重に運命の神様のいたずら、いや、ご配慮です。
2021年の夏に始まる、学びと遊びの日々。源氏物語、和歌、お香、花と草、ダンス、歌。まさに雅の日々でした。そうした空気の中で2023年の春にTokyo Art Beatを知ったからこそ、自分もArt Beat Chinoをと、とち狂ったのだと思います。その意味で2021年に始まった雅の日々はArt Beat Chinoの生みの親でした。
この雅の日々に私を誘い、温かく導いてくださった、ある人。共に一緒に学び、遊んでくださった7名の仲間。一緒に学び遊んだ楽しくも短い日々。その夢のような日々の中でお会いし、すれ違い、握手を交わした多くの人々。こうした人々の温かい笑顔と握手がなければこのArt Beat Chinoはできませんでした。だから私はこのART Beat Chinoの仕事をやり遂げたいのです。
いろんな思い出、エピソードがあります、一つ一つを話していったら時間がない、スペースもない。機会を見て、折々に話します。
2024年6月 編集子
<補>このArt Beat Chino、これまで、紆余曲折ありました。特に、80才を目前にした昭和レトロの人間に、IT?の壁は厚く、2024年の新年を迎えたころは、もう消耗し、殆ど諦めかけ、白旗を揚げようと<考えていました。しかし、上に述べましたように、私のこの3年間の一番の励みになっていたこの雅の世界から、ポイと手を切ることはできませんでした。藁をもつかむ思いで相談した人が、温かい手を差し伸べてくださって、気を取り直して準備を整え、やっと誕生直前の今日を迎えることができました。
昔の仕事仲間です。現役時代は今でいうパワハラの嵐に傷めつけられていたはずの相手である私への友情。そして現役時代お世話になった父上様のあの世からの友情に心からお礼を申し上げます。
2.矢崎博信さんの事
2年前,2022年の夏のころ、日本テレビの恒例番組24時間テレビ<愛は地球を救う>について、<今年の24時間テレビは無言館のことがテーマらしい>という話が我々ジジババ9名のグループライン「万美」(バンビ)に流れたのは放送の前日のことであった。
無言館は上田市にある戦没画学生の慰霊美術館。茅野から遠くないし、私もいろんないきさつから、何度か訪れており、思い入れの深い美術館であった。
「万美」仲間の中にも訪れた人は少なくなく、グループラインは少し盛り上がった。その大半は,行ったことがある、ない、といった他愛ないものであったが、その中に一つ、こんなメッセージがあった。
「無言館には28歳で戦死した、従兄の絵があります。(中略)私の家から(美大に)通学していました。大きな絵を何時も書いている、静かで優しい、お兄ちゃんでしたが、前衛的な絵が、思想を疑われて、何度も召集され、死にました。」と。
このメッセージを書いた人は、私が、その1年ほど前から誘われてその山荘に通い、万美仲間と共に、源氏物語を教えてくださっていた人であった。たまに、お香を聞かせいただいたり、夢のような世界に遊ばせていただいていた。
翌朝、日テレ24時間番組放映の日、私は無言館に車を飛ばした。無言館のスタッフはここには矢崎博信という人の絵は無い、と言う。館長の窪島さんに無理を言って、博信さんの絵を探してもらい、見せていただき、許しを得て写真を撮り茅野に戻った。撮った写真は、「お兄ちゃんの絵を見てきたよ」と、その人に写メで送った。これが、矢崎博信さんとの最初の出会いである
。以来、矢崎博信さんは自分にとって無縁の人ではなくなっているが、この事についてはここではこれ以上述べない。
難産の末、生まれたばかりで、明日をも知れぬ運命なのに、先の事を言うのは
あまりに軽すぎるし能天気に過ぎる、とは思うが、生まれた子供に夢を託する
のは親の常。恥ずかしさをこらえて夢を言う。
あえて外に対してものを言うことは、自分を鼓舞するため、自分を律するため
でもある。大声で言っても何ができるわけでもない。一方、言わなければ、結
局何もせず、何もできないで終わってしまうことも目に見えている。言うか、
言わずにいるか?言う。
Art Beat Chinoは茅野の絵画、絵画展の紹介を中心にスタートした。茅野、絵
画、紹介、がキーワードである。今後の方向をいろいろ考えている。
まず、茅野。大目次のページに、「茅野周辺のArt」という章立てをしている通
り、既に茅野周辺の町のArt状況を追う用意はある。原村、富士見町、岡谷、諏
訪等の町をカバーしてゆく。
次いで、絵画、絵画展。Artの絵画以外の領域も、少しずつカバーしてゆきたい
。絵画以外のARTの領域と言っても対象は広いが、心動かされた対象を少しず
つ追いかけたい。特に、音楽。これは絵画以上に対象が広く、深く、手強いと
は思うが、できる範囲で少しずつ。
更に、絵画、絵画展の紹介、ということ。絵を見ることの楽しみの次に来るの
は、好きな絵、気に入った絵を持つこと、ではなかろうか。昔、学生の時、な
んという小説だったか、太宰治の小説を読んでいる中で、マリーローランサン
という画家の名前が出てきて魅かれた。更に、読み進むうちにマリーローラン
サンの青色、という言葉に魅かれた。時が過ぎて会社員の時代。確か渋谷の
PARCOだっと思う、マリーローランサンの絵を見る機会があって、絵を買っ
てしまった。額縁とマットがついた高さ1メートルほどのなかなかの押出し。
無論複製画。今見ると、甘ったるい、という気持ちのする絵だが、当時は複製
画とはいえあの太宰が好きらしいマリーロランさんの絵、という昂揚もあって
満足した気持ちだった。
以来、転々とした我が家をついて回って、今は自分の小さな書斎の床に直に置
かれ、立てかけてある。他の2-3枚のボードと混じって、壁に立てかけてあ
る。
話が冗長になった、Art Beat Chinoは、絵画、絵画展を紹介し、絵を見る楽し
みの手助けをする、にとどまらず、好きな絵を持つ、自分のものにする、身の
回りにおいて好きな時に見られるようにする、というステップに進みたい
(2023年4月12日、日経新聞の。)Tokyo Art Beatの記事の一節ににあるように
、たくさんのギャラリーが集まり、いつもどこかのギャラリーでオープニング
パーティーが開かれてにぎわう、というシーンは無理としても、絵画展の前後
ではどこかに知人友人が画家を囲んで集まり、祝い、励まし、礼を述べあうと
いう場面がふつうにみられる日は遠くなかろう。
この一年間、その準備の過程で見えてきたことがある。茅野の絵画展と言えば
すぐ思いつく茅野市美術館、みやこ美術、康庸堂美術館といった名の通った展
覧会場以外にも、あれっと思う意外なところで、意外な人の、なかなか魅力的
な展覧会、催しが開かれているということだ。
一つだけ,例を挙げる。今年2024年2月。北山小学校横に住んでいるおば
さん(1967年に編集子が蓼科を初めて訪れた時以来、ずっとお世話になり
、蓼科暮らしを教えていただいている方)宅でおばさんのお友達との麻雀に誘
われてドンチャラしていた時、<向かいのストーブ屋さんで展覧会していて、
そろそろ閉店の時間だから、>ということでマージャンを切り上げ、皆で展覧
会に押し掛けたことがある。
「八ヶ岳空の色展 My pleasure one hour」と題する展覧会。子育てと仕事
に追われる3児の母、いわさき さんの、毎日1時間のpleasureなartの時間の
集大成。初めての個展。場所はおばさん宅の斜め前にあるストーブ屋さんの2
階事務所の一部をギャラリーに仕立てたスペース。
A5サイズの1枚のポスターを木の板に張り付け、2階への階段に立てかけただ
けの看板。

絵はすべて八ヶ岳と八ヶ岳を取り巻く空。
壁に飾られた30点近い八ヶ岳と八ヶ岳を取り巻く空の絵。爽やかさと温かさ
に溢れた絵ばかりでした。
閉会日の前日、店が閉まる直前の時間でしたが、いわさきさんの知り合い、お
友達と思われる人々、いわさきさんのお子さんの友だちと思われる子供たちで
賑わう会場は、絵の展覧会場とは思えない、それはもうある種、パーティのよ
うな熱気に包まれていました。私が想い描く、Art蠢く茅野、にぴったりの光景
でした。
Art Beat Chinoは、「Art蠢く茅野」、「茅野のアートを世界に」、の二つをを謳い文句にしている。世界に、という心意気は大事にしなければ、と思っているが、それ以上に大事なのは、この茅野がArt蠢く茅野であり続けることである。そのために我がArt Beat Chinoに何ができるか、何をするのか。
地味で小さな蠢きかもしれないが、多くの蠢きが絶えず持続すること、そのことが基本的に大事だと思う、先に紹介した、「八ヶ岳そらの色展」にみられるように、楽しみな蠢きは間違いなくある。目に留まらなかった蠢きはもっともっとあったに違いない。
Art Beat Chinoのこれからを言うときに、絵画以外の領域のカバー、茅野にとどまらぬ茅野周辺地域のカバー、展覧会の紹介という絵を見ることの手助けから、持つ楽しみの手助けへ、展覧会を通じた友人知人との交流を、といった、浮いたようなことを言う前に、<鳥の目、虫の目>、の<虫の目>に徹して、今は、茅野の絵画展をしっかり見ること、小さな動きでも見逃さず、掘り出すようにして拾い集め、見守り励ますことが、生まれたばかりのArt Beat Chino には必要な事と心している。
日本中の展覧会情報、アートイベント情報をブルドーザーで掘り出す如く白日の下に陳列することは、AIかITか知らないが、この21世紀の時代の技術をもってすれば、あまり難しくないように思う。しかし、いかな強力なブルドーザーも木々の間に咲く小さな草木を隈なく掘り出し、拾い集めるのは難しいはずだ。そこに超マイナーなメディアである我がArt Beat Chinoの強みがある、役割がある。私は虫の目に徹し地に這うことを楽しみにしている。
【E-mail】
新しい展覧会情報が入った。カリグラフィの展覧会という。カリグラフィー?聞きなれない言葉。カリグラフィー? カリ(カリー?)とグラフィか。カリとは何だ?カリグラフィーとは何だ?手元にあるパンフレットには、カリグラフィペンによる装飾文様のこころみ、とある。装飾、飾り事は好きではない。こころみ?何か実験するのか? 早速、困ったときのインターネット。ネットサーフィンをする。 カリグラフィは書だという。 日本の書道の英訳はcalligraphyだという。書道か。 もう少し、webを歩いてみると、少し手掛かりになることが分かってきた。曰く、文字装飾、美しい書き物、アルファベットを独特のタッチで書く技術、 カリグラフィは、手法、技法、技術、であって、文字、書体、そのものではない、ということらしい。 そういえば、ネットを歩く中で、頭を去来した言葉、イメージ。 書体、フォント、楷書、行書、草書。催しの案内状やパンフレットに時々見かける不必要なまでに華美に飾られ変形したアルファベット文字。 カリグラフィが、技法であって、文字、書体そのものではない、ということが分かれば、話はかなりシンプル。パンフレットにあった、こころみ、という言葉にも合点がゆく。 更に、webに迷い込めば、<(イタリアのiqatass Art Work Labo.)では、単に、文字を綺麗に書くのではなく、描きたいと想う「コトバ」の意味を自分の中へ取り込み、自分の中にある信念、美、心のカタチを表現し、創造した文字のワークをカリグラフィーワークとしている、>ともいう。 ややこしいけれど、少しわかってきたような気がする。 なるほどそういうことであれば、それはまさに、人の「心」「思い」の表現行為。アート、ARTそのものではないか(私はARTを、Activities Represent Thoughts と解釈している)。カリグラフィは単なる技法、技術ではない。アートである。これは面白そうだ。Art Beat Chinoで追うべし。 仄聞するところによれば、この作品展の主は茅野在の人で、この世界では英国においても名を成しておられるという、茅野に蠢くアート、世界に羽ばたく茅野のアート、これぞArt Beat Chinoが探し求めるもの、目指すものではないか。 何はともあれ、現地現物。作品展を見るに限る、拝見するに限る。 そういえば、私が深く敬愛する桃紅さん(篠田桃紅さん)の描く書は、いわゆる習字風の書ではなく、何か絵のような雰囲気がする。上述のイタリアの何とかラボのいうカリグラフィワークの定義に当てはめれば、桃紅さんの書は、なんと、カリグラフィではないか。これは面白い。 と、ここまで書いて、疲れた。今日はここまで。(2024、07,15。)(7月17日一部加筆訂正
カリグラフィーとは、とのネットサーフをひとまず終え、<困ったときの現地現物>と小淵沢の作品展に出向いた。壁に掛けられた作品に交じってこんな説明ボードがある。

ボードにあるEdward johnstonという人は、英国の人で、20世紀においてカリグラフィーを始めとする書字芸術をリードした大家であったらしい。大日さんもカリグラフィの世界でこの人の影響を大きく受けた、
と述懐されておられるわけである。
さて、私の手元に、THE SCRIBEというA4サイズ、40ページほどの、かっちりした作りの冊子がある。その2023年春号、NO114。Journal of the society of scribes and illuminatorsと謳っているから書字芸術家の人たちの団体の会報誌らしい。勝手な命名を許していただけるとすれば、<英国書字芸術家協会会報>、とでも言うべきか。

この号は、NEVER A DAY WITHOUT MAKING A LINE;THE WORK OF KEIKO OKUSA と題するEwan Claytonさんのレポートで始まる。「1日たりとも線を描かない日は無い;大日 珪子の仕事」と訳しておく。
堂々10ページの力の入ったレポート。 豊富な図、写真を使って、見た目も楽しい。大日さんのこれまでの業績が詳しく書かれています。
この10ページのレポートは、当サイトの「3,茅野近辺のArt」にある大日さんの作品展のパンフレット写真の下に10枚の写真として掲げてあります。英語に自信ある方は是非お読みください。

ところが。
見た目も楽しそうな、この10ページのレポート、読みかけて、我が甘さ加減に気が付いた。
まず最初の一行目に例のEdward Johnstonの名が出てくる。次いでDitchling Museumという博物館、美術館らしい名前が出てくる。次いで、Writing &Illuminating and Lettering(WIL)(1906)が出てくる。本の名前らしい。
これらの出てくる言葉、何も分からない、何も知らない。その都度、ネットの助けを借りて、調べまくる。PCとスマホを横に置き、慣れない単語、固有名詞を入力し、出てくる膨大な情報の中から役に立ちそうな部分を取捨選択して読み、少しずつ理解してゆく。運が悪いことに、調べようとする事が、すべて英語綴りなので、ネットで出てくる情報も英語で出てくることが多い。詳しい情報を得ようとすればますます英語情報に頼ることになる。苦労して、少しずつ読み進むなんてものではない。何しろ出てくる情報はすべてカリグラフィーを中心とする書字芸術の世界の情報、話。未知の世界。底なしの泥沼に足を取られて、一歩も進まない。いくら時間があっても足りない。
溺れかけながら、更に恐ろしいことに気が付いた。
この10ページのレポート、最初のうちは未だ序論総論イントロというか話の糸口探しみたいなもので、肝心の本論に入っていない。そもカリグラフィという言葉に出会っだけで目が廻ってうろたえた身である。これからページが進み、カリグラフィーなるものの本殿・迷宮に入っていったら、何に出会うか、どんな魑魅魍魎に出会うか、わかったものではない。専門用語百出の大海の中で理解不十分なままネットサーフィンの作業に溺れて、何も分からないまま大汗かいてのびてしまうに違いない、と。(2024.727記)
「1日たりとも線を描かない日は無い;大日珪子の仕事」。全訳することに決めた。 最初の1ページでその異世界ぶりを見せられ、更に深入りすれば、何も分からないままその魑魅魍魎に取り込まれ、抱き込まれ、身動き取れずおぼれ死ぬに違いない、と二の足踏んだ、この10ページのレポート。全訳することに決めた。 何百,何千、何万か知らないが、日本のカリグラフィ愛好家、関係者の人達に役立つに違いない。喜んでもらえるに違いない。それが励みである。 全く知らない世界の事を書いた英文のレポートを和訳することは容易ではない。専門的というか、技術的というか、How toというか、実際の作業、仕事に即した文章も多そうで、普通の辞書や、ネットの情報も役に立たず、正体不明のカリグラフィー魔神に徒手空拳で立ち向かう、という風情である。でも、きっと、何とかなる。一生懸命やって、それでも何ともならないことなんてそんなにあるものではない。ボケーとではあるが何十年か生きてきての数少ない確信である。なんとかなる。やってみる。(2024年7月31日記)

先日、この書に出会った。茅野市美術展で。頭(こうべ)を低(た)れて 故郷を思う、と読むらしい。李白という人の詩の一節であることは後で知った。詩の意味もさることながら、書の清楚簡素誠実の風、飾り気を抑えた文字通り低頭の風に心打たれた、惹かれた。7月中旬の頃で、編集子は丁度カリグラフィーなるものに捉われており、そうだ、書もjapanese calligrapyなんだ、と復習しながら、日本のカリグラフィーのなんと美しいことよ、と見直した。
そういえば、この今年の茅野市美術展にカリグラフィの作品2点が出展されていた。2点の作者は同一の人。カリグラフィは茅野市美術展では今回が初めての出展です、との主催者の話。66年間出展が無かった!?66年間。66年前は、1958年。昭和33年。長嶋茂雄、石原裕次郎、オオダイアナ、の頃から66年間,出展が無かった。そして今年初めて2点の出展。同時に「低頭思故郷」の日本のカリグラフィ。こうして編集子を襲うカリグラフィの嵐。縁というものは素晴らしい。

茅野の市街から我が家に向かって走ると、東の方向、八ヶ岳に向かって走ることになる。その途中、尖石温泉縄文の湯、という茅野市の公営温泉の前を通るが、丁度その辺りの道路傍にこんなオブジェ?を見つけたのは今からふた月前の6月上旬。
車を停めてよく見ると、こう。

パリオリンピックを控えて、道路傍の地元の人が考えたウイット。思わず破顔一笑。その時点では未だこのABCはスタートしていなかったので、遅ればせ乍ら、今、紹介します。Art蠢く茅野、発見。そのものです。(8月5日記)
Never a day without making a line:The work of Keiko Okusa 完訳成る。近日掲載。乞、期待。
我ながら時代がかったタイトルになった。この独語でこれまでも話題にしてきたTHE SCRIBE誌の上記論文10ページが完訳できた。近々このサイトに掲載し、広く皆様のお目に触れるようになります。よろしく。
苦節1年を経て、このサイトABC(ART BEAT ChINO)が立ち上がったのが今年2024年の6月30日。誕生にあたり、先の方向として、鳥の目、虫の目の、虫の目になって地を這いまわり、茅野に蠢くアートを探し、拾い上げ,掘り起こして、見守り励ますことが、超ミニメディアである我が新生Art Beat Chinoの役割であるとか、殊勝なことを言ったりした(「編集子独語3,これからの事」)。
そのころ、1枚の展覧会のパンフレットが手に入った。パンフには「大日珪子 Keiko Okusa 作品展。カリグラフィペンによる装飾文様のこころみ」とある。会期は7月1日から。ABC誕生の翌日からである。今考えると、これも何かの縁であったような気がする。それがカリグラフィなるものとの出会い,馴れ初めであった。装飾?飾る?好かんなぁ、というのが偽らざる第一印象である。
物事はその生地、元(素=もと)が大事、飾ってはいかん、という気持ちがある。飾る前にまず掃除。汚れを取る。その上で生地を磨け、表面を飾るのではない、と思う気持ちが強かった。素地、素材、素質,素養、簡素、質素、素面、素顔、素性、といった言葉から感じられるように、「素」ということの大切さに魅かれていた。人の名前では、素平とか素子とかいう名前が好きだった。若い頃、中山素平という財界人がいて、報道から垣間見えるその豪快、爽快、恬淡な人柄にあこがれていたこともある。その昔、女の子が生まれたら素子か花子と決めていた。翔という字の流行に代表される最近の華麗な名前は自分の性に合わない。孫の次に大好きなドジャースの大谷だけは例外だが、それでも、もし彼が大谷素平(おおたにそっぺい)という名前だったら、今より2倍3倍好きになったろう、という予感はある。あのパーフォーマンスと人柄に加えて「素」の気風が備わっていたら、それこそ侍だ。編集子は野球大好き人間だが、野球の日本代表チームがsamuraiを名乗っているのに大きな違和感を持っている。侍はそんなものではない、それで侍を名乗ったら侍が泣く、と。でも本当に侍の実質を備えるようになれたらこんなに嬉しい、誇らしいことはない、とも思う。話がそれた。学食では15円の素うどんを4年間食べ続けた。30円の卵うどんには手を出さなかった。更に話がそれた。これでは四球だ。
そんなこだわりがあって、第一印象は、「装飾か、好かんなぁ」。
しかし、物事は現地現物。7月1日に小淵沢の展覧会場を訪れた。これも今思うと、ABC誕生後の取材第1号。やはり、何かの縁があったのだと思う。異世界に触れた思いがした。カリグラフィ?無論、絵ではない、編み物、織物でもない、一種の工芸品みたいではある。よう分からん。
数日後、ABC上でこの展覧会の記事を読んだある友人が、これ読んだほうが良くわかる、と言って、一冊の小冊子を手渡してれた。THE SCRIBE。「英国書字芸術家協会会報」(編集子訳)。詳しい人の例えによれば、カリグラフィや写本装飾等の世界では、自然世界研究界でのNATURE誌に相当する権威ある出版物だという。全文、英語。
その2023年春号。劈頭にあったのが、「Never a day without making a line:The work of Keiko Okusa (線を描かない日は1日たりとも無い:大日珪子の仕事)」という論文。筆者はEwan Clayton。英国人。カリグラフィ-の研究家であり、自身カリグラファ-でもある。堂々10ページのしっかりした論文。写真や図も豊富で、見た目には楽しそうであった。心惹かれたのは、論文の主人公である大日珪子なる人物が茅野の人であるということ。更に、彼女の20年以上にわたるカリグラフィの世界での努力、研究が本場英国でこうして認められるに至っている、ということであった。
我がART BEAT CHINOは二つのキャッチフレーズを掲げている。「1,アート蠢く茅野。2.茅野のアートを世界へ」である。茅野に人がいて、カリグラフィーという世界で長く研鑽を重ねてきて、今こうしてカリグラフィの世界で、注目を浴びている、浴びようとしている。これは、ART BEAT CHINOが目指す世界にぴったりではないか。この事にしっかり焦点を当て、広く知らしめるのはART BEAT CHINOの仕事である、ART BEAT CHINOで翻訳すべきであるというのが最初からの結論であった。何百、何千、何万人か知らないが、きっと日本のカリグラフィ世界のお役にたつ。翻訳、全訳すべし、ABCに掲載して読んでもらうべし。迷いは無かった。
しかし、1ページ訳して、自らの甘さに気が付いた。くどくなるからここで詳しくは触れないが、その時の、迷いや、恐れや、それを振り切った上での決心や、葛藤は、編集子独語の6,7に詳しい。魑魅魍魎の世界にからめとられ、力を吸い取られ、わけも分からぬままに朽ち果てる姿を頭の隅に描きながら、でも、世の中、一生懸命やって何ともならないことなんてそんなに多くはない、何とかなる。やってみる、と決めたのが7月31日。(編集子独語7,カリグラフィ(3))。そしてひと月。ひと月かかった。
昨日8月30日、またも30日。ABC誕生が6月30日。この困難にして手ごたえあるThe Scribe論文完訳の日が8月30日。そして、今日、31日、こうして完訳の報告と、ABCへの掲載が目の前に迫っていることを報告することができた。
「装飾か、好かんなぁ」で始まったカリグラフィとの縁は、やはり運命だったのだと思う。ABC誕生以来、7月、8月ときて、昨日で丁度2か月、今年の夏はカリグラフィ浸けの夏であった。Never a day without touching the article:
The work of Keiko Okusa.(8月31日記)(9月1日、3日、加筆修正)

今日のテニスコートから仰いだ空。
真っ青。一点の雲も無い。本日は晴天なり。
なぜこんなに澄んだきれいな空が、と考えていて,朝のテレビ天気予報のおじさんの声が思い出された。<今日は、高気圧がなんとかかんとかで天気は良いが強風が心配されます、>と。そうか風が天空を吹いて、空を拭き清めて、こんなにきれいなんだ、と合点がいった。
それで思い出したのが、近く始まる展覧会「八ヶ岳そらの色展 vol.2」by いわさきしおり さん。
この編集子独語でも一度触れたことがある(編集子独語3、これからの事)。
今年の冬2月。50年来の蓼科詣での訪問先であり、蓼科生活で何から何までお世話になっている<おばさん>に誘われてお宅で遊んでいた時に、道の向こうのお店で展覧会をしているからということで、遊びを早々に切り上げて訪れた展覧会が,「八ヶ岳そらの色展」であった。副題として、<my pleasure one hour>とあり、いわさきさんに聞いてみると毎日仕事の前に1時間、絵を描くのだという。この八ヶ岳のそらの絵を。
展覧会会場はストーブとワインを主にするお店の2階の一部をギャラリーとして仕切った場所。1階から2階への階段に1枚の板切れが立てかけてあり、そこにB5サイズの小さなポスターが貼ってあって、それが会場への案内看板になっていた。その飾り気のない素朴な風景が全てを説明しているような気がする。素朴、純朴、けれん味なし。作者の心がそのまま陳列されているような展覧会だった。
<編集子独語3、これからの事>でも述べたが、この生まれたばかりの超ミニメディアである「Art Beat Chino」は茅野に蠢く、小さな小さな幼いArtの芽を発掘し、探し出し、光を当て、紹介してゆくことを使命にしようと決心している。そしてそれを世界に発信し、いずれは世界を揺るがす大木に、と。
その展覧会の第2回目が間もなく開かれる。10月24日から29日まで。モンベル諏訪店(諏訪ステーションパーク2階)のギャラリースペースで。
いわさきさんは、毎日仕事の前に1時間、絵を描くことを楽しみにしているという。。テニスが好きな私の、テニスに対する気持ちのようなものだろうと、私にはその気持ちがよくわかる気がする。その毎日の気持ちの作品を見せてもらうことができる。どんな作品なのかどんな絵なのかおおよそ見当はつく。でも、この半年でどんな変化があったのか、変わったのか、すごく楽しみにしている。
開会を前にしてパンフレットを送っていただいた。

前回の、この冬のパンフと殆ど変わっていない。でもどこか変わっているに違いない。

これは、私の畑から見た八ヶ岳の空の色。西を向いて見た空(10月14日)。同じ八ヶ岳の空だが、いわさきさんの八ヶ岳の空とは随分違う。
6万年ぶりの大接近と騒がれた10日ほど前の「アトラス彗星」は曇りの天気で観察は完敗だったが、今日の快晴の天気から判断すると、今夜の「オリオン座流星群」は期待できそう、と思って、先ほど畑に行って空を見たがダメだった。「空」は厳しい。(10月21日、記)
編集子独語を読んで「ドイツ語かと思っていたが、日本語でホッとした」と言って笑った仲間がいる。貴重な数少ないABCの読者の友情溢れる言葉、こちらも少し笑えた。
自慢じゃないがドイツ語なんて何も知らない。数字は1,2,3までしか言えない。中国語なら8まで言えるのに。なぜ8までか?答え、麻雀牌がそうだから。
ドイツ語と言えば、若い頃、<ダス イスト リヒティッヒ ヒンメル ブラウ>というタイトルの本を読んだことがある。ドイツ語で。日本語にすれば<本当の空の青色>というところだろうか。内容は覚えていない。子供の物語であったことは記憶にある。童話だったらしい。内容は全く覚えていないが、独語11の冒頭の、10月21日のテニスコート上空の青い空のように、すごく気持ちの良い本だったことだけは覚えている。
独語11の冒頭に使った青い空の写真。どこまでも抜けるような深い青の空。この写真を見ていて、<ダス イスト リヒティッヒ ヒンメル ブラウ>という言葉が、スラーと頭に浮かんだ。<ダス イスト リヒティッヒ ヒンメル ブラウ>。<ダス イスト リヒティッヒ ヒンメル ブラウ>。
催眠術とはこんなものかとふと思った。
それにしても人の名前や、事物の名前が頭のそこまで浮かんでいながら口に出てこないことが多くなったこの頃、
なんで、<ダス イスト リヒティッヒ ヒンメル ブラウ>などという異国の言葉がポコッと頭に浮かび、口に出るのか、出たのか、不思議でしようがない。若い頃、この本は一度しか読んでいない。読もうとして読んだわけではない。何故読んだのかも覚えていない。でも、この本の題名、タイトルだけは何故か頭のどこかに沁みついているみたい。
独語11を書いた後、すぐに、この本をもう一度読んでみたくなった。あの時の素晴らしい気持ちをもう一度味わえるかもしれない、と思った。60年前の事だし、本の題名も<ダス イスト リヒティッヒ ヒンメル ブラウ>かどうか、はっきりしない。無論、もうドイツ語で読む元気はない。日本語でよい。日本語が良い。でも、神の啓示のように頭を去来したこの言葉(<ダス イスト リヒティッヒ ヒンメル ブラウ>)を信じて、<本当の空の青>でネットを歩いてみると、いくつかの候補が上がってきた。<智恵子抄>もその一つだが、探している本とは明らかに違う。結論を言えば、「ほんとうの空色」という本がそれらしいと思われた。バラージュ ベイラという人が書いた本で、ハンガリーの名作、と紹介されている。岩波書店から「ほんとうの空色」という書名で翻訳が出ている。ハンガリー人だが、母親がドイツ人だからドイツ語で書いたことには筋が通る。ネット上の情報ではこのドイツ語の本の題名、書名が分からないので、「ほんとうの空色」が、この<ダス イスト リヒティッヒ ヒンメル ブラウ>の翻訳かどうかはまだ分からない。
この岩波書店の「ほんとうの空色」を早速アマゾンで注文して、今日、26日に配達された。今、27日の深夜2時だがこれからベッドの中で読む。今夜読んで、どんな読後感を得られるか楽しみ。まずこの本が、60年前に読んだドイツ語の<ダス イスト リヒティッヒ ヒンメル ブラウ>の日本語訳であるかどうかが関心の第一点。日本語訳であったとして、昔のような爽やかな青い気持ちになれるかどうか?
(10月27日記)


今日10月26日の夕日もダイナミックで綺麗だった。夕飯一緒にした友達もそう言っていた。青い空も良いが紅い空も好きだ。
わかった。<Das richtige Himmelblau>だった。21日のテニスコート上空の抜けるような青空の写真を見ていて、神の啓示のように口をついて出てきた<ダス イスト リヒティッヒ ヒンメル ブラウ>という呪文の言葉は<Das richtige Himmelblau>だった。
岩波少年文庫の「ほんとうの空色」の原典の題名は<Das richtige Himmelblau>だった。ネットを探し回って確信した。これなら和訳が素直に「ほんとうの空色」になる。納得。

Das richtige Himmelblau
ほんとうの空色
快晴の10月21日から今日11月1日まで10日余り。長い10日間だった。
10月21日 テニスコート上空の抜けるような青空を仰ぐ
21日 昼間の快晴にも拘らず夜の「オリオン座流星群」観察はダメだった。空は厳しいと知る
22日 誕生日A
24日 いわさきしおりさんの「八ヶ岳そらの色展」始まる




この頃 (<21日のテニスコート上空の青空の写真を見ながら)<ダス イスト リヒティッヒ ヒンメル ブラウ>という呪文が頭を駆け巡る
26日 「ほんとうの空色」(岩波少年文庫)配達
27日 戸田みどりさんの「戸田みどり展」始まる(上田市)




夢の庭画廊オーナーに紹介頂いた「ガーデンカフェ 花音(カノン)」友達の為に7月から探していたワレモコウの大きなドライフラワーの束に出会えた。
花音の女オーナーは、私からワレモコウを探しているわけ、今日がどんな日か、を聴いて、この大きなワレモコウを天井の飾り棚から外し、譲って下さった。
27日 誕生日B
29日 「八ヶ岳そらの色展」閉会
11月1日 <ダス イスト リヒティッヒ ヒンメル ブラウ>は<Das richtige Himmelblau>と知る。「ほんとうの空色」(岩波少年文庫)は<Das richtige Himmelblau>の和訳版と知る。
この10日間の間に友達二人が個展を開いた。よかった。各々絵の個性は変わらないが、それでもこの半年、1年の間に少しずつ変化がある。楽しい。先が楽しみ。
二人の個展以外にもいろいろ楽しいことがあった。MLBのワールドシリーズと、大谷の大活躍はその一つの柱。毎日のように午前中はテレビに釘付けだった。衆院選の結果は驚きと共に、ある意味、先が楽しみ。それら以上に、ある旧交復活の兆しが見えたことが嬉しい。
(11月1日記)
9月1日、友人に誘われ、小海町高原美術館に行った。
ABC(Art Beat Chino)でも紹介しているが(3.茅野近辺のArt)、「~生々流転 In Flux~アメリカと日本のアーティストの滞在制作による現代美術展~」がお目当てである。
小海町高原美術館では世界のアーティストが数週間ほど、まち(小海町)に滞在して制作をするアーティストインレジデンスなる催しを度々行っている。今年2025年もその年であり、今回の美術展はその制作作品の展示会である。今回はアメリカのアーティストが5名、日本のアーティストが1名参加している。全員女性である。
写真はその展示作品の一つである。作者の名はLibby Black。


目を疑ったのは、その展示作品の中にある一枚のハガキ大の絵。
遠くから見て、すぐそれと分かった。
ネタ元というか、この絵の元の絵はこれ。
上村松園の「待月」。
絵のことなど何も知らない編集子が何故か大好きな絵。
この絵については、素晴らしい解説文がある(日経新聞2023年2月1日)。
画中には「雪月花」の言葉が隠されている、という。即ち、帯の文様の兎=月、着物の蝶の紋=花、までは素人の編集子にも分かる。団扇の文様が雪の結晶=雪、であるとはとても想像が及ばないが。
さて、画中の女性は「月」ではなく、実は来るはずのない「恋人」を、今、ひたすらに待ち続けている
のである、という。「待月」ならぬ「待人」であり、しかもその恋人は、来るはずがない、という。
編集子は、この絵を、この日経新聞の解説文と共に知り、半ば解説の文章に酔わされてこの絵が好きになった。
今回の美術展の作者Libby Blackが、上村松園のこの「待月」にどのようにして出会ったのかは想像すべくもない。編集子の日経新聞の解説文にあたる何かがLibby Blackにもあったのだろうか。ただ、絵だけを見て、何かインスピレーションを得、こうして、後の作品に使うべく取ってあったのだろうか。若いアメリカ人にあの絵のどこがどう訴えたのだろうか。アーティストと言われる人は何か感じる力が特別に鋭く、何か伝わるものがあったのだろうか。そんなことを考えながらの、この小海高原美術館での「待月」との出会いであった。「雪月花」との出会いであった。
雪:冬、月:秋、花:春。雪月花には夏がない、といわれることがあるが、夏が過ぎ、秋に入る、9月1日の出会いであったのも何かの因果だったのか、とも思う。思いがけない、突然の、いろんなことを思わせる出会いであった。
いろんなことを思わせる、といえば、白楽天の「雪月花」という歌は、四季折々の自然の美しさを愛でる歌ではあるが、そも、昔の友との長い離別を惜しむ歌である、ということも思い出される。簡単に言えば、<お前と別れてずっと長くなるが、雪や月や花、を見る度に昔の事、お前の事を思い出すよ、>という歌なのだ。編集子は、「待月」「雪月花」との出会いを喜んでいるが、「待月」は、来ぬ恋人を待つ絵であり、「雪月花」は別れの歌なのだ、というこの皮肉、といえば、あまりにもひがみが過ぎる,と言われそうだが。
ぶち壊しになるかもしれないが、白楽天が「雪月花」で語りかけている友とは、実は大方の想像に反して女性ではなく男であることを言っておく。編集子の想像では、たぶん昔の仕事仲間ではなかったのかと思っている。辛く厳しい仕事の合間に音楽、文学(詩)、酒、スポーツ(乗馬)を一緒に楽しんだ仲間だったのでは、と思っている。
(2025年9月4日)
朝、京都のザイラーさんからメールが入っていることに気が付いた。ピアニストの和子ザイラーさん。ドイツ人であるご主人のエルンスト・ザイラーさんと共にザイラー・ピアノ・デュオとして世界を舞台に活躍しておられた。エルンストさんが亡くなられた後は、皆さん音楽家であるお子様たちと一緒に音楽活動を続けておられる。
編集子は一昨年、ある機会に、ザイラーという名のピアノメーカーがドイツにあることを知り、それを契機にザイラーさんご夫妻の事を知った。京都の郊外に住み、福井から移築した大きなかやぶき屋根のお寺を音楽堂に改装し、そこを拠点に世界を舞台に音楽活動をし、一方では畑どころではなく、田んぼでお米を作るという、その「晴耕雨読」ならぬ「晴耕雨奏」の生活ぶりを知って、いたく親しみを覚えた。ピアニストが大事な指で「田んぼ」だよ。これはたまげた驚いた。お書きになった本を読み、CDを聴き、今年(去年?)になってメールをするようになった。その中で、いずれ、茅野で、蓼科で演奏会をして欲しいという話もしていた。そのザイラーさんからの久しぶりのメイルである。さて、内容は?
<この秋、茅野で演奏会をすることになった、聴きに来てね>という内容である。
一も二もない。読み終わるやお礼のメールを送り、演奏会参加の手続きをし、そうだ、と気が付いた。これはABCにアップして、皆さんに知ってもらわなければ、と。ABCは、絵画の展覧会を中心として、茅野とその周辺のアート(とりわけ、未だ目立たないアート)を紹介・案内することを主たる眼目としてスタートして約1年になるが、<いつかは音楽も>、との思いは、かねてからあり、この夏あたりから、ボツボツ、画面に登場させている。その最中のザイラーさん登場の吉報!神様は見ている、のは本当だ。このニュースを至急ABCにアップしなければ!
しかし、今日27日は土曜日。ABCの編集スタッフは月~金曜日の平日は本業に専念し、この(1銭にもならない)ABCの仕事、作業は、手の空いた週末に処理することになっている。今日は土曜日で貴重な息抜き日なのだが、仕方ない、これは極めて大事な情報なのだからと、心を鬼にしてアップ作業の号令をかけ、更に気が付いた。これは、編集子独語で、簡単にでもこれまでの顛末を報告をしておきたい、と。それで、PCに飛びついて原稿を書いている、という次第。
今日、27日の12:50時点ではまだアップされていないが、今日明日中にはアップされると思う。簡単にアップ作業と言うが、日本語版と英語版があり、更に各々スマホ版とパソコン版がある。決して楽な仕事ではない。計4種類の版を作らなければならない。何故か?
ABCは、茅野のアートを世界に発信して世界の人に茅野のアート状況を知ってもらおう、いつかは茅野を世界のアートの一大拠点に、という大それた夢があるから、日本語だけでなく、せめて英語版だけでも発信しなければ、世界の人に読んでもらえない、知ってもらえない。だから英語版がある。
次いで、人々は如何にしてこのABCのサイトを見るか、読むか?読者がサイトにつなぐメディアの事を考えると、たぶん、今の時代、パソコンよりも、スマホというか携帯端末でサイトにつなぐ人が多いと思うが、PCを使う人も未だたくさんいるはずだし、何よりも、我々のこのABCはアートを主たる対象としたサイトなので、絵を始めとした画像に頼ることが多く、画像のサイズや、鮮明さに優れたPCでご覧いただいたほうが望ましい、という判断もあって、スマホ版と、PC版を作っている。スマホ画面は主として縦位置、PCは横位置ということもあって、スマホ版とPC版は異なったデザインのものを作らなければならない。
ABC作りは、もともと、お金とは無縁と覚悟して始めているが、それはこのABCを始めた編集子だけが覚悟し、納得しているだけで、ABC作りを実質的に支え、汗を流してくれている編集スタッフには関係のない覚悟であり、納得である。年寄りのすさびにしては罪が深い。
それはさておき、10月19日のザイラーさんのAutumn Salon Concert。皆様、お楽しみください。仔細はABCの「4音楽」に案内しております。
2025年9月27日。13:15
今、日が変わって、28日日曜日、朝、07:15。昨27日のうちに日本語版のアップは終了。今朝早朝、ベッドの中で英語版がアップされていることに気がついた。みんな、昨日頑張って英語版を作ってくれたんだなあと感謝しながら、少し気の付いた部分をダメ出し連絡して起きだして、そうだ、このこと、あの人に連絡しなければと思いついて,某氏にメイルを1通書いて。
昨日書いたまま編集グループに伝送してなかったこの独語15を編集グループに届けるべく、またPCの前に座っている、という次第。
9月28日 07:27
昨日、ザイラーさんからのメールを嬉しく楽しく読んだ後、相前後して読んだメールはちょっと残念だった。大層残念だった。
友達の画家からのメール。
俵屋宗達の風神雷神図屏風の(模写)屏風をどこかのお寺に寄贈すべく注文を受けていて、私の絵の今後の糧になればと思い、サイズも原寸に近いサイズにして気合い入れて頑張ろうとしていましたが、描くことを止めました、申し訳ありません、というメール。
理由は金屏風。風神雷神図用に京都に注文すると500万円から600万円する、という。純金でなく30万円で作ってくれる屏風屋さんもあるが、何十年かすれば黒ずんでしまうこともあり保証できない、とのこと。絵は少なくとも100年は色合いその他が変わらずにあることが条件。一生懸命描いても金が黒ずんだり、屏風がゆがんだり、剥落したりなど、納得がゆきません。そういうことでお断りしました。申し訳ありませんでした、と。
普段見ているこの画家さんのゆったり、優しい、風貌、仕草、にはちょっとそぐわない、この姿勢、態度、考え方。自分の専門の世界に対しては、こんなにはっきり、きっぱりした考えを持てるのだ。見直した。
編集子は、この仕事、注文の事、前から聞いていて、これは大事な転機になる仕事になると思うから気合い入れてやってください、頑張ってくださいと、励ましていたから、このメールを読んですっかりめげた。心配した。
午後お会いして、いろいろお聞きして、話したが、考えは変わらず、むしろ編集子のほうが、なるほどと納得して別れた。
風神雷神という絵がある。絵のことなど何も知らない編集子は、その絵の名前をどこかで耳にし、その絵の写真か画像を何かでチラと見ただけで、それ以上の事は何も知らない。
何か知らないが、大層立派な絵であるという印象だけがある。
最近知ったことだが、一対の風神雷神のモチーフは、古くから中国、日本の絵画や彫刻の世界にあって、日本では俵屋宗達という画家が江戸時代初期に描いた屏風絵が有名で、以来、尾形光琳をはじめ多くの画家が模写してきている。その俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一らの流派を琳派というらしい。彼女はこの琳派に深く傾倒しているらしく、この仕事を大層楽しみにしていた。だからこそ、編集子にはこのメールの悲しさが分かる。ザイラーさんからの嬉しいメールがあった日のその直後の事だから、なお一層のこと。
2025年9月28日 21:44
明日、10月27日、「篁月貝覆い百人一首」の連載がスタートする。
平安時代の貴族の遊びの一つとして、「貝合わせ」、あるいは「貝覆い」、という遊びがあった。。明治維新前まではその道具が上流社会の一番の嫁入り道具であり、公家や大名の間では嫁入り道具として美しい貝桶や貝が作られ、婚礼行列では先頭で運ばれたと言われるが、近代では、実際に遊ばれることは殆ど無く、そうした遊びがあったこともあまり知られていない。
その道具として使われる貝はハマグリ。何か月も流水に晒し、磨いて薄皮を剥いで、貝の内側に金粉を塗って、絵を描いたり和歌を書いたり、綺麗に綺麗に仕上げる。大層な手間、作業である。
左右(上下?)一対の貝に上の句と下の句を各々書いて、上の句、下の句が、一対になるような二つの貝を探し、1セットに組み合わせるという遊び方もあったらしい。
この貝覆いの貝作りを独り、手作業で進め、何百枚もの貝を描き、作った人がいる。
今回ABCで連載しようとするのはこの人の作品の一つ。小倉百人一首をテーマとして、1個のハマグリの左右の貝蓋の一方の裏に百人一首の歌を書き、片やもう一方の貝蓋には関連した絵を描いて、1個1首のハマグリを百個作り、貝覆い百人一首とした作品である。編集子、名付けて「篁月貝覆い百人一首」。篁月とはこの作品を作ったご婦人の雅号。
その他に、源氏物語をテーマとしたシリーズ、潮干香シリーズの他、単品物というべき作品もある。
大変な工芸品、見事なアートである。
さて、この吹けば飛ぶよな超ミニメディア=ABCは、「アート蠢く茅野、茅野のアートを世界に」をキャッチフレーズにしている。埋もれ隠れた茅野のアートを虫の目になって掻き分け掘り出し、それを世界に向けて発信する、世界に知ってもらう。百年後の世界のアート拠点、茅野、が夢である。(このあたりの心意気は、「編集子独語3,これからの事」に詳しい)。
では、なぜ、そんな小さなABCが何故、「篁月貝覆い百人一首」を?
茅野のアートなのか?世界に向けて発信するに足るアートなのか?
百人一首は、<貴人、金持ちのすさび>、という一面はあるが、古今の歌詠みエリートの数ある歌の中から、更に和歌の天才(藤原定家)が一人一首で選び抜いた珠玉の歌集であるという意味で日本を代表する和歌集である。更に、和歌に日頃関係のない人達がこうして日常の話題・趣味の種とし、正月になると一家を挙げて、老いも若きも百人一首のカルタ取りに興じる。一握りの和歌愛好家の中で生きる歌集ではなく、いわば国民的な歌集であり、その意味で実に日本を代表する歌集と言えるのではないか。
さて、「篁月貝覆い百人一首」だが、ご覧の通り、流麗華麗な変体仮名で歌を詠み、歌から想起される情景を絵に描いた、精緻にして強靭、華麗にして知的な趣を持つ百個の貝の作品である。これまた、世界に通用するアートではなかろうか。作者篁月さんは茅野にルーツを持つ佳人である。文字通り、「アート蠢く茅野」であり、「茅野のアートを世界に」に値するアートである。ABCがこの連載を自信を持ってスタートする所以である。
ABCでは、1回1首の歌を紹介する。100回の連載となる。毎日1首、着実に作業して100日、3か月かかる。この1日1首のペースは今の編集子の気力体力では無理だろう。本来の仕事を持った上で、友情だけを理由に助けてくれる仲間たちに掛ける負担を考えると、これまで以上の無理はできない。3日に1首で300日。ほぼ1年間。このあたりを目標にする。来年の誕生日あたりがゴールか。まず、スタートする。
2025年10月26日。23時。